ブレイク寸前?!足利のキング・オブ・ギャングスタSATORU、その壮絶な生い立ちとは!?Part.1
SATORUの寂しかった幼少時代
SATORUは1997年にブラジル人のお母さんと日系ブラジル人のお父さんの間にブラジル・サンパウロで生まれます。3歳の時にお母さんとブラジルから来日、栃木県足利市へと移住しました。それから、お母さんとお母さんの再婚相手と共に小学校2年生までを過ごし、小学校3年生からは両親の別居により、お母さん、お姉さん、お兄さん、とSATORUの4人で暮らすことになります。お母さんは女手1つでSATORU達を育てていたので夜は母親がいないことが多く、夜は目を瞑ることが怖かったので目を開けてシャンプーしていたのでシャンプーが目に入り、SATORUは「シャンプーがすげえ痛かった」と寂しかった幼少期を振り返っています。
AK69とラップとの出会い
中学生の時にYoutubeのAK-69の「Ding DIng Dong~心の鐘~」との衝撃の出会いによってSATORUとヒップホップミュージックは出会いでした。東日本大震災の計画停電の時に中学2年だったSATORUはAKの攻撃的なリリックやファッションからもパワーをもらい、ますますヒップホップにハマっていったそうです。それからYoutube関連動画を通じてアナーキー、般若、オジロなどの日本人ラッパー達の音楽を聴くようにもなりました。
ギャングスタラッパーSATORUの誕生
16歳からはSATORUは地元ライブハウスで出会った有名アーティストMAKAを師にラップを学びます。同時に暴力団の準構成員となり、小山市を中心に赤ギャングと呼ばれるC.M.D13のNo.3として所属していました。足利レペゼンのギャングスタラッパー誕生です。SATORUは女の子とグルで美人局をした時期もありました。恫喝して現金を騙し取ろうとした相手に分割で5万ずつ支払わせていたところ、ある日、相手に何千万単位でお金を貸していた男性が付き添いでやってきます。その付き添いはSATORUや家族と仲間の個人情報を全て知られていたとか。引き下がらずに再度相手に連絡すると、次に会った時にも付き添いがやって来て長い刃物で思い切り足を刺された恐怖経験を動画で語っています。
1度目の逮捕とラッパー活動の一時休止
ギャングスタとして80名のギャンググループC.M.D13のNo.3となったSATORUはアルバム制作費のために詐欺でお金を集めたことがバレてしまい、特殊詐欺罪で少年院に1年4ヶ月間服役することになります。服役期間には仲間がラップをやめてしまったり、巷のラッパーもダサくなってしまったので、だんだんとそれまでのラップ熱が冷めてしまい、一時期活動休止を余儀なくします。そこから、デビューまで一体、何があるのか!?
Part2へと話は続きます。
▼各種配信サイト▼
SATORU
Twitter: https://twitter.com/SATORU0284
IG: https://www.instagram.com/satoru_selfmade/
Youtube: https://www.youtube.com/channel/UCa6Bo6ZA7zbFIa38iAs0KJw/
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